地震のあった日

 遅ればせながら、無事に生きてます。外出先で地震にあい、右往左往して翌日帰宅するまでの間は、生きた心地がしませんでしたが。

 3月11日、地震が起こった時は、息子氏の習い事で千葉市内に。その時は、一駅離れた店で、娘っこと買い物中。地震発生後、店内の商品は一部散らばり、壁の一部がはがれ落ちててびっくり。地震が起きた事はアナウンスされるものの、震度も震源地も分からない。もしかして、これは噂されていた直下型地震?。どう動くべきか悩んだ末、万一のことを考え、とりあえずその場でオムツを買い、息子氏を迎えに行くため、外へ出た。

 駅ではテレビに人が群がっていて、そこでスゴイ地震だと分かるも、遠くからちらっと見えただけで、詳細は全く分からず。電車も当面動かないと分かり、タクシーもちっとも来ない。携帯も通じず、習い事先へも夫へも連絡がつかない。徒歩で息子氏を迎えに行くか悩んだが、未知の土地だから行き方が分からないし、外にいても揺れるのが分かる位の余震も続く。
 息子氏は先生と一緒だから、きっと大丈夫!と思い直し、まずは娘っことの安全確保が第一と、とりあえず地域の広域避難所である小学校へ向かう。その間も余震が続き、落下物でもあったら、ここで死んじゃうだろうなと思いながら、娘っこのベビーカーを押して右往左往。

 ようやく小学校にたどりつくも、相変わらず地震情報が分からず、今後の行動に悩む。近くの交番へ行けば何か分かるかも・・・と思い行くも、ここも大わらわでそれどころではない。とその時、たまたま空車のタクシーが1台通りかかり、飛び乗る。そこでラジオを聞き、初めて東北地方がすごいことになっていることを知る。たった一駅なのに、すごい渋滞で娘っこはぐずぐず〜。「目的地まで遠くないよ」という運転手の言葉を信じて途中下車するも、全くのでたらめで、通行人に道を聞きながら徒歩で40分かかって、ようやく到着。息子氏に会えたのは、地震発生から2時間後。唯一の救いは、息子氏がいつもと同じように無邪気に振舞っていたことだった。

 この時点で電車は終日動かないことが分かり、千葉で一泊することに。しかしあいにく、大学入試のため、近所の宿は満室。先生の家も地震の被害で部屋中、ガラスが散乱でムリ。仕方なく、習い事先の体操マット上に雑魚寝し、翌日満員電車で帰宅。幸い、自宅の被害はほとんどなく、近所の人が不在をとっても心配してくれていたと聞き、ありがたく思った。

 今回、一番困ったのは、情報が入手できなかったこと。被災地でも同様の訴えが聞かれるけど、その不安さは本当によく分かる。一日でも早く、被災者に笑顔が戻る日が来てほしいと願うばかりだ。